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企画の「き」VOL.1

  • #Case study

これまでにさまざまな広告事例を紹介してきた広告勉強会ですが、

本日は少し趣向を変えて、広告における根本的な営みである「伝える」ことについて考えてみたいと思います。



広告を作ろうとするとき、みなさんはどうやってそれを「伝えよう」とするでしょうか?

そして、それはユーザーに「伝わる」ものになっているでしょうか?



これから3つの問題を出します。

以上のことを念頭におきながら、考えてみてください。

問い①

 

 答え


 
A. 天才だけでは

 
この広告は、ドナー登録を呼びかけるための広告です。
多くの患者を救うためには、より多くのドナーが必要なわけですが、みなさんはどんな言葉を考えましたか?
プランナーチームで考えてみた際は、「僕では」「一人では」なんて回答も出てきましたが、その言葉だとブラック・ジャックの一人称になってしまいます。
この広告ではブラック・ジャックがメインビジュアルとして採用されていますが、この広告におけるブラック・ジャックの役割は、あくまでも優れた医者としての分かりやすいイメージです。
世の中には優れた医者がたくさんいますが、そんな医者の中で一握りの天才でさえも、ドナーがいなければ患者を救うことはできない。
「天才だけでは」という言葉を使うことで、ドナー登録を切実に呼びかけているのです。

問い②


 

 答え


 
A. 口に出すと強い

 
週刊少年ジャンプが2014年の元日に出稿した新聞広告。
友情・努力・勝利という三大原則をもつ週刊少年ジャンプが、「夢」をテーマに打ち出した広告でしたが、みなさんはどんな言葉を考えましたか?
プランナーチームで考えてみた際は、「叶う」「でっかく」なんて回答も出てきましたが、これではそのまんまですね。
こんな言葉ではせっかくの贅沢なリソースが台無しです。
ユーザーが想像できる、共感できる余地を作ってあげることで、より良い広告が生まれます。
ボディコピーを読み進めていくと、週刊少年ジャンプは「夢を応援しつづけます」とありますね。
ここがポイントです。
画像の週刊少年ジャンプの主人公たちはどうやって自分を奮い立たせてきたのか?
口に出すという「表明」が、読者に勇気を与え、週刊少年ジャンプのテーゼを表現しているのです。

問い③


 

 答え


 
A. なにも無かったことにします。

 
泉北ホームというハウスメーカーが、住まいの建て替え・土地購入の促進プロモーションとして行ったキャンペーン用のポスター。
55万円で解体撤去工事をしてくれるわけですが、どんな言葉が魅力的にユーザーへ「伝わる」のでしょうか?
プランナーチームで考えてみた際は、「更地にするとか解体するっていうネガティブな意味を、ポジティブに展開したいよね。」みたいな会話がありましたが、狙い的には正しいと思います。
あとはどうやってユーザーに想像させるかです。
よく、「あの話はなかったことにしたい」とか聞くことがありますが、大抵はなかったことにできません。
もしもなかったことにできたら凄いことです。
その「なかったことにする」をこの広告では実現しようとしています。
しかも「なにも」です。
このコピーでは「なにも」はダブルミーニングとして使われています。
重機のイメージと組み合わさることで「更地」を想像することができるのです。
つまり、「55万円でなにもなかったことにします。」(解体撤去工事)というわけです。

まとめ

『名作コピーに学ぶ 読ませる文章の書き方』(鈴木康之著・日経ビジネス人文庫)という本の冒頭に、こんな文章があります。

詩人アンドレ・ブルトンが物乞いにある言葉を贈った話を知っていますか。

 私は『ロスチャイルド家の上流マナーブック』(伊藤緋紗子訳/講談社文庫)で読んで膝を打って以来、よく文章教室のマクラに拝借している話です。フランスの詩人アンドレ・ブルトンがニューヨークに住んでいたとき、いつも通る街角に黒メガネの物乞いがいて、首に下げた札には

私は目が見えません

と書いてありました。彼の前には施し用のアルミのお椀が置いてあるのですが、通行人はみんな素通り、お椀にコインはいつもほとんど入っていません。ある日、ブルトンはその下げ札の言葉を変えてみたらどうか、と話しかけました。物乞いは「旦那のご随意に」。ブルトンは新しい言葉を書きました。

 それからというもの、お椀にコインの雨が降りそそぎ、通行人たちは同情の言葉をかけていくようになりました。物乞いにもコインの音や優しい声が聞こえます。数日後、物乞いは「旦那、なんと書いてくださったのですか」。

 下げ札にはこう書いてあったそうです。

春はまもなくやってきます。

でも、私はそれを見ることができません。

誰が見てもうらぶれた物乞いです。黒メガネをかけているのだから盲人であることも分かります。「私は目が見えません」は言葉の意味をなしていないのです。

 アンドレ・ブルトンの言葉のほうには、訴えるものがあり、憐れみを乞う力があり、人に行動を促す力、もっとえげつなく言えば集金能力がありました。目的はそれだったのです。読んでもらって、施しの気持ちを起こさせ、施しをいただくこと。

 目的を果たしてこそ、言葉です。

「私は目が見えません」はあくまでも見せる側(自分)の気持ちの話ですよね。

目が見える人々は、その状況を体験したことがないので、上手く想像できません。

ブルトンは見る側(相手)の気持ちになって言葉を考えました。

春はまもなくやってきます。でも、私はそれを見ることができません。」

目が見える人々は、春の訪れを感じることができます。

そして、感じることができるからこそ、春の訪れを見ることができない苦しみを想像できるのです。

広告において、言葉の力は絶大です。

すごい発明をしても伝わる言葉をつくらないと誰にも気付かれないし、ただの説明は誰も聞きません。

「伝える」と「伝わる」は違うのです。

ユーザーが広告に耳を傾けようと思うかどうかは、この最初の一言(コピー)にかかっています。

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